もしもの話

2015年9月11日
*by: | *cat: 子供たち

私の誕生日を祝ってくれた夜、むすこが寝室の窓に向かって

「おかあちゃんおやすみ」

と言った。そして私の方に向き直って、
「おかあちゃんにもおやすみゆうといた」と笑った。
「ゾウとちびすけと、いっしょにいるかもな」

おじいちゃんと釣ってきた数日後に死んでしまったザリガニと金魚。
むすこは彼らをお墓に埋める時、

ちゃんと世話しなくてごめんなさい
ちゃんと世話しなくてごめんなさい
ちゃんと世話しなくてごめんなさい

と何度も叫びながらわんわん泣いた。
むすこの本当に悲しい時の泣き方には、
見ているこちらが苦しくなるような凄味がある。

私に怒られて泣く時とは全然違う、
かまってほしいとか許してほしいとかいう気持ちを全く感じさせない涙。
爆発した悲しみが波のように身体中から流れ出てくる。
静まるまで、私は背中をさすってやることしかできない。

むすこはそんな悲しみを経験したばかりだった。
ちゃんとエサをあげて、水もかえていたのに自分を責めるむすこは
やさしい男に育っているなぁと思った。
何も言わなくても、むすこは裏庭のお墓に何度かお線香を持って行った。

話の流れで

「ゾウとちびすけ、生き返ったらいいのになぁ。
じゃあ、もし、おかあちゃんも生き返ったらどうするー?」

と口にしたむすこは

「べつにいいやんな、そのほうがらくやし」

とさらっと続けた。

そしたら大人4人子ども4人でちょうどやなってことで盛り上がって、
その話はおしまいになり、むすこは眠りについた。
(私の妹も一緒に住んでいるから、我が家には大人が3人いる。)

就寝前のベッドでの他愛ない話だったけれど、
むすこの言葉はとても印象的だった。

大人だったら真剣に悩んでしまうような話を
「らく」という言葉でまとめるとは。

母親が2人いることが、むすこにとってはそれくらい当たり前のことなんやな。
おもしろいな、と思った。

私はよくむすこと血が繫がっていないことを忘れてしまう。

こないだむすこが突然

「かぞくはちがつながってるからな」

と話を切り出した時にはちょっと身構えたけど、
「エキスつけても大丈夫やねん」
という小学生らしいわけのわからない発言が続いて拍子抜けした。
(エキスとは、唾のことらしい。)

おとうちゃんは時折、むすこが私を本当の母親だと思っていることを実感して
喜んだり安堵したりしている。

私はそんなおとうちゃんのことを
本当にこの人は心配症だなぁなんて思っていたけど、
よく考えたら私は、
私のことを母親として、もしくは母親のように慕うむすこしか見たことがない。
だから、むすことの関係を疑いようがないのだった。

おとうちゃんは、
おかあちゃんに可愛がられ、
おかあちゃんを唯一人の母親として愛していたむすこを
誰よりも近くで見てきたのだから、
そりゃ心配にもなるか、とある時思ったのでした。

おとうちゃんは毎朝おかあちゃんの仏壇に手を合わせるのだけれど、
最近そこにむすめたちが参加するようになった。
チーーンと景気よく可愛らしい音を鳴らし、
「ごちたまー」となぜかご馳走様をとなえる。

今はまだこの位牌が何なのか、写真の人が誰なのか、
全くわかってないのだろうけど
大きくなったらおかあちゃんはむすめたちにとってどんな存在になるんやろう。

むすめたちが、何歳になっても今のむすこみたいに
おかあちゃんのことを普通に笑って話せるような
そんな育ち方を家族でしていけたらいいなぁ。

それくらい当たり前におかあちゃんが家族の一員であることが、
誰にとっても一番いいと思うのです。

2015年9月11日(金) おかあさん

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