最期のとき

2013年3月5日
*by: | *cat: 闘病と出産

最期の入院中に一度だけ一時帰宅したときのむすこ

ボクはおかあちゃんの仲の良い人たちには余命について
話し始めていました。一番近くで見ていたボクは
少しずつ覚悟を始めていました。

「秋まではもたない。少なくとも年は越せない。」

お医者さんから聞いた言葉をそのまま伝えました。

「そんなわけがない!あんたが何を言ってるの!?」と
叱られたりもしました。

まだ認可されていない抗ガン剤や保険適用外の抗ガン剤が効くかもしれない。
先進医療による治療もあるのかもしれない。
ガン治療という観点だけなら可能性はあったかもしれませんが、
おかあちゃんの体力はもはや抗ガン剤に耐えられない状態でした。

治療できなくなった場合、自宅で最期を迎えたり
ホスピスなどの終末医療を行う病院に転院するのが一般的です。

そのためホスピスへの転院も考慮に入れておかあちゃんに内緒で見学に行ったりもしました。
しかし、ホスピスへ行くということは余命が短いと本人に伝えるのと同じこと。

痛みやガンの皮膚への浸食は凄まじく、見ていられない程でした。
ボクは余命を伝えなかったものの、もう闘うことは終わりにしてもいいのではないかと。
そんなことは思ったりしていました。

しかし…

入院が続き筋力が衰えたために、歩行器を使ってのリハビリに懸命に取り組む。
お見舞いに来てくれた人に笑顔で接し、いつ誰が来てくれたかを書き留める。
退院した後の生活や、むすこの保育園をどうするかをいつも考えている。

結局ボクはホスピスのことを話すことはできませんでした。

2010年10月。

暑い夏はいつの間にか終わっていました。

ある金曜日、朝先生に呼び出されたボクは
今夜が峠だと聞かされました。

慌てて親族や近しい人に連絡を取り
その日の夜、大勢の人が病室に駆けつけてくれました。

「どうしたんみんな?なんか私死ぬみたいやん!」

来た人たちがびっくりするくらい元気な様子。
あぁ今夜が峠なんて何かの間違いじゃないのかな。
誰もがそう思っていたと思います。

週末の日曜日までひっきり無しにお見舞いの人たちが訪れる病室。
気丈に振る舞うおかあちゃん。

ボクはおかあちゃんを親族に任せて一旦実家に帰宅しました。

翌早朝。

「朝方から容態が急変しています。すぐに病院に来てください」

むすこはまだ寝ている。
おじいちゃんおばあちゃんに任せてとにかく自分だけでも病院へ。

あんなにスピードが遅く感じて、あんなに落ち着かない電車は
今までなかったし、これからもないんじゃないかと思います。

病室の扉を開けるや否や
ボクの顔をチラッと見たおかあちゃん。

その後すぐに昏睡状態になり、間もなく息を引き取りました。
むすこはその時には間に合いませんでした。

おかあちゃんが御母堂様になりました。

2013年3月5日(火) ハイブリッドとうちゃん

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