束の間の安堵

2012年12月17日
*by: | *cat: 闘病と出産

1歳2ヶ月くらいのむすこの様子 byおかあちゃん

2009年3月下旬に放射線治療を終え、その1ヶ月半後に
抗ガン剤治療が再開しました。半年間計8回の抗ガン剤治療。

この治療期間中、おかあちゃんは普通に家事をして自宅で仕事をこなしていました。
ボクも病院には付き添うものの仕事は何不自由なくさせてもらっていました。
むすこはスクスク育っていて、はなぺちゃくんは毎日ふがふが言っていました。

8回目の投薬の前、無理のない程度に旅行しようということになり
ボクの実家3人+1匹とボク、おかあちゃん、むすこ、はなぺちゃくん
とで伊勢に行ったりもしました。

新婚旅行にも行ってないし、一緒に旅行したことなかったしちょうど良かったねー
なんて言っていた気がします。

思えば闘病生活の中でこの頃が一番穏やかで普通に生活ができていました。
副作用によるけだるさや気持ちの落ち込みは当然あったけど
旅行に行きたいと思える気力と体力が未だこの頃にはありました。

そしてこの時期には身近な人達に病気のことを少しずつ話していました。
おかあちゃんと同じ病気で闘っているお義母さんにも話しました。

最後の抗ガン剤治療から約1ヶ月後の2009年11月中旬、クリニックの先生から
「異常なし。もともとガンのあったところはキレイに無くなってますよ。」
という完治に近い診断。

再発の可能性はあるけど大きな治療が一旦終わる。
本当に良かった。頑張ってよかったね。まずは一安心やね。と。

しかし、

安心したのも束の間、1ヶ月足らずで状況は一変します。
12月初旬に再発の告知、そして3日後に再度全身転移の末期診断。

どうしたらいいかわからない。
そんなすぐに再発ってするのか。

更に悪いことに、おかあちゃんと同じ病気で闘っていたお義母さんが
11月頃から病状がすぐれず入退院を繰り返していました。

ボクたちの家から200km離れたおかあちゃんの実家。

自分の再発をひた隠しに看病のため帰郷するおかあちゃん。
ボクはおかあちゃんの病状を考えて何度も無理をするなと言いました。

でも無理しないわけにはいきませんでした。

おかあちゃんにとってお義母さんの存在は大きな支え。
「ママが頑張ってるから頑張れる。ママと一緒に病気と闘う約束をした。」

病気は身体のケアだけでなく心のケアも大事。
そう思ってこの時期何度も高速道路を使って200kmを往復しました。

再発の告知から2週間も経たないうちに最悪の事態が訪れてしまいます。

2012年12月17日(月) ハイブリッドとうちゃん

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