三度目の2歳

2017年10月17日
*by: | *cat: 子供たち

20171013

ようやく保育所の行き帰りもぼちぼち歩くようになり、
つたない文章を喋るようになってきた末っ子。

少し前までよく
「おにいちゃんはこれくらいの時、もっとしっかりしてたで」
とおとうちゃんに言われていました。

わがままで奔放な、なんとも末っ子らしい性格に育っている彼女は
家ではずっと私の膝の上にいて、
右手を私の胸元に、左手の指を自分の口につっこみ
安心しきった様子で全体重をあずけてきます。
おかげで私の服はほとんど全部、首のところがだらしくなく伸びてしまっています。

おとうちゃんの「40歳」とは重みが全く違うけれど、
私にとっては「2歳」という年齢が会ったことのない
おかあちゃんのことを感じる、数少ない糸口になっています。

おかあちゃんが亡くなった時、むすこは2才2ヶ月と少し。
いつも病院を走り回っていたそうです。

まだオムツもとれていない、
言葉もいくつかしか話せない、
遊び疲れてごはんを食べながら眠ってしまう、そんな年齢です。

むすめが2才2ヶ月になった時、
次女が2才2ヶ月になった時、
そして、ついこの間、末っ子が2才2ヶ月になった時。

こんなに小さな我が子を遺してこの世を去ることを何度も想像しました。

トイレに行くだけで泣き出すこの子は
冷たく動かない母を前にどんな顔をするのだろうか、
夜中に目が覚めて泣いた時はおとうちゃんに抱っこされて眠るのだろうか、
舌ったらずな喋り方でキョトンとした顔をして
「おかあたん、いたいいたいの?」「ちんだったの?」なんて言うのだろうか、
いやという程顔をくっつけてくる頬や肩の感触も忘れしまうのだろうか……

そう考える度に、毎日歌ったり踊ったり楽しそうに過ごしているむすこは
そんな経験をしたのだということが改めて身にしみます。
一番甘えたい存在がだんだん遠くなってしまって、しっかりせざるを得なかったんだと。
それが良いとか悪いとかではなく、彼はその中で精一杯生きて、
その結果、老若男女を問わず誰とでもすぐに仲良くなれる子どもになった。

彼がおかあちゃんとおとうちゃん、おじいちゃん、おばあちゃん、
そして両親の兄弟や友人たちから
たくさんの愛情を受けて育ってきたことをありがたく思います。

むすこは小学3年生になり、一人で本を読んだり、友だちと出かけたりする時間が増えてきました。
ギャングエイジと呼ばれる年齢らしく
宿題やりたくない、学校行きたくない、と嘆いた時期もあり、
「だまれ」なんて偉そうな口をきくことも出てきて、
小学生男子の気持ちがわからないと悩むこともありました。

おままごとに熱中する妹たちにレゴの船をこわされて
「もうこんな妹ばっかりの家いやや!」と泣いて荷物をまとめだしたことも。
それでも、兄妹4人で団子になって走り回っている時の笑顔は
まだまだ幼くて、妹たちを引き連れる姿は微笑ましい。

出会った時から今までずっと、明るくて、人懐っこくて、おちょけでかわいいむすこ。

これまでは何をするにも一緒だったけれど、
ここからは徐々に私の人生と彼の人生を切り離していく時期。
一緒に行こうよ、と誘っても「いいわ、家で待ってる」と言われることも増えてきました。

「おかあさんみて」と何度もレゴを見せにきたり
「おやすみ」と抱きついてくるのもあと1、2年、いや、もしかしたらあと数ヶ月かもしれない。

家事がにがてで、仕事と遊びが大好きで
母親にも妻にもさっぱり向いていない私は色々とうまくいかないことが多くて、
そんな時、学校から帰ってきたむすこが
嬉しそうに友だちやゲームの話をしてくれると、気持ちがぱっと明るくなります。

出会ってからこれまで、色々なことがあって、私は常に余裕のない顔をしていたと思うけれど、
いつもむすこに助けられてきました。

おかあちゃんの七回忌には、お墓でお坊さんがお経を読む中、家族皆で手を合わせました。
むすめたちはよくわからないなりに

「おかあちゃんは なんで ちんじゃったん?
 そんとき おかあさんは いーひんかったん?」

と時々聞いてくるようになって、
おかあちゃんが作った家族のアルバムをむすめたちだけで見ていることもあります。

この間むすこと一緒に靴屋に行って22.5cmのスニーカーを買いました。
次に買う靴はきっと、私と同じサイズになる。
「そのうちおかあさんより背も高くなるもんね」と笑うむすこを見て
6年の月日の確かな重みをあたたかく感じました。
本当に大きくなったなぁ。

2017年10月17日(火) おかあさん

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